V3の好きなところ・嫌いなところ

V3いったんクリア。キャラ個別の色々はあんまりやる気起きない。
総じて非常に面白かったけど、2みたいに個人的に超絶琴線に触れる作品ではなかった、というかむしろ作品の思想がどうも自分と合わないなぁとも思う。
以下面白かった点と気になる点。1回目プレイ時なので見返したら大いに変わる可能性あり。

(ネタバレしかないので注意)


◆面白かった・好きな点

 

〇「百田解斗」というキャラクター

この作品はこのキャラ一本で持っているなぁ、という位重要な立ち回り。
作品テーマは「嘘」「フィクション」で、今の時代そんなもの世の中に溢れまくってる。だから、このテーマを代表するキャラクターとかモチーフには全く困らない反面、問題はそれに対抗できるような何かを打ち出せるのか?というところ。
百田の「根拠はないけど信じる」という方針は、馬鹿正直ではあるもののの、だからこそこの作品を照らす道しるべとして機能していたと思う。

 

〇学級裁判が面白い
3作の中で一番みんなで議論をしている感じがしてよかった。議論スクラムだーいすき。「偽証」も相当面白いギミックだけど、1章であまりにも、本当にあまりにも見事な使い方をしてしまったため、逆にそれ以降の「偽証」が都合のいい言い訳くらいにしか見えなかったのが残念。この件も含めて、V3は明らかに徐々にプレイヤーのボルテージを上げて盛り上げようという気がなさすぎると思う。


〇トリックがよくできている
1章のピタゴラスイッチバカすぎワロスwwwとか思ってたのがちゃんと後半で回収されたり、そもそも1章の叙述トリックだったり、一番丁寧に作られている感じがした。個人的にこれまでの2作はあんまりまじめに推理してなかったけど、V3は(多分自分が慣れてきたのもあるけど)推理する楽しみがあった。2章のアリバイで論理で徐々に絞っていったにもかかわらず、最後に残った2人を「根拠なく信じる」シーンとか、V3らしさを感じてかなり興奮した。


〇とにかく6章前半が面白い
我に返って気が狂ったキーボのおかげで崩壊していく学園で、限りある時間の中で隠されていた真実が明らかになっていく展開はかなり面白かった。
ここは明確に2の反省が活かされていたなぁと思う。これまで生き残った仲間と協力して真実に近づいていく快感、こういうのでいいんだよ。
(2の6章前半は変な空間に飛ばされて、よくわからんまま無量空処食らって面白いとか以前の問題だったので)

 

〇とにかく6章中盤が面白い
いやー見事にちゃぶ台ひっくり返されちゃった。「思い出しライト」が「記憶植え付けライト」だっていうのは、気づきそうで気づけなかった。うーんやられた。過去作品のキャラに煽られるところも相当意地悪いけどあんまり感じたことがない気持ちよさがあった。石丸の煽り性能高すぎる。あと、七海の「やればできるってやつだよ」とか、狛枝に才能ないことを煽らせるやつとか、過去の思い出をこんな形でリサイクルするの最高に悪趣味でダンガンロンパっぽくて痺れた。

 


◆よくわからなかった点・物足りなかった点

 

〇偽証したもん勝ちすぎる
このテーマでやる以上、最原が自分の「信じる」結末を目指すための「偽証」をきっかけに取り返しのつかないミスをしてしまう。。。という展開を予想するのは当然というか、むしろ普通のバランス感覚ならないとおかしいと思う位のはずだと思うけど、なぜかなかった。おうまといい、テーマ上フィクションとか嘘の可能性を信じるのはいいんだけど、対立軸を「現実」に設定してそっちとの対立に注力した結果、本来ドラマを生むだろう嘘をつくことのリスク、倫理的な悪さの側面、みたいな楽しそうなテーマが触れられなかったのが残念。「嘘」自体を深堀してくれよという性癖というか好みが達成されなかった悲しみ。



〇アンジーが明らかにやりすぎている
死への恐れから宗教・スピリチュアルなものへと傾く、というのは確かにデスゲームもののリアリティとしてはありそうだなと思う反面、ちょっと他のキャラを喰いすぎているかなという印象。ただでさえすぐ人が死ぬから1章1章が貴重な中で、アンジー教に入信している間はキャラの差別化も掘り下げもできないしで、あーあー時間がもったいないと思ってた。(この3章の宗教話で盲目的に信じることのリスクはやったということなら、なおさらなんで嘘の功罪みたいな話はやらなかったんだろう、と思う。片手落ちでは?)あ、もしかして共通のものとしてもうやりましたよーみたいな感じ?なんか、この作品で何度か感じたけど、嘘とフィクションをいっしょくたに扱ってそうなところ好きじゃないわ。

 

 


〇とにかく6章後半が気にくわない
ダンガンロンパに限らず、フィクションってのは、作り手も、受け手も、それが「嘘」であることを前提の共通理解として、それでもそこにどれだけリアルを読みこめるのか、もしくは「嘘」としての強度を高められるのか、という遊びをしている。その上で、その土台を破壊する身もふたもなさ自体は賛否両論あれど、1→2と散々色々やってきて、次は何してくれるんだろう・・・いや、もうやることなんて残って無くない・・・?という不安と期待の中、本来とどまるべき一線をアクセルベタ踏みで越えてぶっ壊す「ダンガンロンパ」らしさとして、V3の6章での試み自体

は自分は相当好意的に受け取っている。

 


とはいえ、ぶっ壊した後の後始末としての、そして作品全体の総括としての6章後半は個人的にはかなり期待外れだった。




〇そもそも嘘・フィクションは現実を変える力があるんだ、といわれましても・・・
だから何?そんなの当り前じゃん世の中見ろよ、としか思えない。
それをある種の希望のような形で最終結論に据えるナイーブさに面食らってしまった。
嘘・フィクションが現実に影響を与えること、現実を変えることを可能性として語ることが逆に新鮮すぎる。そんなの当り前で、それを前提としてどう活用するんですか、どうリスクを抑えるんですかって問題なので。(もちろん10年弱前の作品という事は加味すべきだけど、それは今自分がどういう感想を抱くかとは関係ないのと、10年弱前としてもさすがにちょっと時代遅れだと思う。)



〇最後の一連の流れについて思うところ


①衝撃の事実についてのずれ


・最原達に投げかけられたのは、自分という「リアル」な存在だと思っていたものが実は「フィクション」にすぎなかったこと
・プレイヤーに投げかけられたのは、作り手との共同作業で作り上げてきた「フィクション」は単なる「嘘」であると作り手側から突き付けられること

→ここのずれは意図的にやってるのかな?没入読みの人間としてはキャラと自分の立場にズレがあってやりづらいけど、ズレがあるどんでん返しってのも中々面白いね

 

②「ダンガンロンパ」に対する憧れの重なり

・最原達は「ダンガンロンパ」という「フィクション」に憧れてV3の世界にやってきた

・自分も「ダンガンロンパ」にこの1か月脳を焼かれており、「ジャバウォック島」に住みたいと思っていた
→うおー、なんか親近感わくぜ



③すり替えトリックやめてほしい


・最原達は、フィクションを植え付けられた生身の人間。この悲劇を「ダンガンロンパ」というフィクションを求める声が生み出し、最原たちは彼らの見世物となっている
・そして、そのフィクションを求める声というのは、キーボの内なる声=「ダンガンロンパ」を求めるV3世界の観客=キーボを動かすプレイヤーとして、最原たちにとって打倒されるべき最後の敵となる

 

→ここでのクソデカ違和感は「プレイヤーが現実世界でやっている倫理的悪」=「フィクションのキャラクターが殺し合いをするゲームをフィクションとして楽しむこと」と「V3世界の観客がやっている倫理的悪」=「生身の人間にフィクションの人格を植え付けて殺し合わせることをフィクションとして消費すること」という、フィクションとリアルの差から生まれる数段レイヤーの違う2つの倫理的悪が、キーボという装置を通して、最原たちが立ち向かう敵として同一視されていること


→これさぁ、自分が必要以上に悪者にされてムカつくーーーーってのもないわけじゃないけど、それより気になるのはフィクションの可能性を信じる、とか、フィクションの功罪をプレイヤーにも考えさせる、みたいな体をゲームとして取るんだったら、なおさらこういう部分は丁寧に切り分けて考えないと変じゃない?ってこと


別に何がフィクションで何がリアルかなんて正直よくわからんけどさ、最終的な結論を「リアルに影響を与えることができるフィクションの可能性」ってリアル/フィクションに明確に区別がある前提で据える以上はさ、フィクションだからやっていいこと悪いこと、リアルだからやっていいこと悪いことをごっちゃにしない態度くらい見せてもらえないと、そういう区別できてない以上自分たちで結論をぼやけさせてることになりませんか?って言いたいです(実際自分はここが引っ掛かってあんまり話はいってこなかった)、まあ、プレイヤーが敵として倒されるってこと自体はゲームとしては面白いと思うんだけど、それを優先した結果テーマがぶれてない?って感じ


④てゆーか、V3世界もうフィクションとリアルぐしゃぐしゃでは?

そもそもなんだけど、「生身の人間にフィクションの人格を植え付けて殺し合わせることをフィクションとして消費すること」が娯楽として成り立ってるV3世界で、もうフィクションとかリアルとかの区分け意味なくないっすか、とは思う。すでにフィクションに現実は浸食される段階は過ぎ去って、もうどっちがどっちかわからん状態。


そんな世界において、「フィクションが現実を変えられる」、という二項対立前提の可能性を結論として掲げることに何の意味があるのか。この言葉がいま2026年を生きる自分に響かないのよりも遥かにV3世界においては響かないよなーという。

 

 

(追記)

むしろ、この二項対立が完全に失墜してしまった世界において、この2つの区分けを取り戻すということが目的で、その手段としてあえて「フィクションが現実を変えられる」を掲げるとかなら筋が通ると思う。けど、別にそういう「あえて感」がなく、ポストリアルなV3世界の中で、ゼロ年代~テン年代位の純朴なオタク君よろしくフィクションの可能性を訴えるのは、ちょっとズレてるし、そのズレが個人的な作品への没入を阻害してきたのでやっぱり納得がいかない。

 

 

 


⑤重要なのは変える手段の方だよねって話だけど・・・

「フィクションが現実を変えられる」のは当然な世界で、じゃあ大事なのはその手段。手段の方に目を向けるなら、そこで選ばれたのが「なにも選ばないこと」。希望も絶望も拒否すること。これは納得感ある、というか2に引き続き1のテーマの乗り越えって感じだけど。まあ、完全に2と一緒ってわけではなく、2では覚醒日向が「希望」も「絶望」も『「未来」を信じること』で切り捨てていったのに対して。V3では自ら死を選ぶ=『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶する。逆の過程から同じ結論を導く、こういう綺麗な構造を作ってくれるのはダンロンの楽しいところやね。


まあ、とはいえ、この『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶するってのは、構造としておおーとはなるけど、全然すっきりしないんよね。ゲームとして。何も動かないでゲームオーバーすることが求められるって地味にストレス。2の覚醒日向が爽快すぎたからなおさらね。

 



皮肉なのが、ここで少しでも動いて「論破」でもしようもんなら、なぜかゲームオーバーになってゲームをリトライしますか?って聞かれる。いや、ゲームをやろうとしたらゲームオーバーになってゲームを降りるためにゲームをリトライするってもう意味不明・・・。元々ズレのあるプレイヤーと最原たちを同一視しようとしたことによる歪みなんだろうけど、もうこの辺でゲームをプレイして楽しむ気持ちは失せちゃった。

 


ここってさ、なんか最原に合わせて他の仲間たちも「自主的に」自殺を選択することになる場面だけど、最初嫌がってたけどみんなに説得される形で決意した夢野も、実は自分と同じ気持ちだったんじゃないのっていう逆流の同一化が発生したわ。いや、だって、ほかに選択肢ないんですもん・・・的な。あと、これは単純に好みの問題だけど、人に説得されて生きることを決意するのと、人に説得されて死ぬことを決意するのって、いくら目的が同じでも、後者は見ていていい気分はしないっす。最原とかガンダムが自分の決断でそれに辿り着くのはいいんだけど、どんな理由があれ人にそれを提案する姿を見るとちょっとなぁ、とノレない自分がいる。



⑥結局この作品のテーマの「信じる」ってどこに活きるねん


まあ、いいや。ここは『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶するってのは、構造としては面白いって話に戻るけど、でもその面白さって、1と2っていう過去作と照らし合わせたり、6章の中で見たときに、って話でしかない、というのもある。自分がTwitterでぶつぶつ文句言ってることだけど、この最原の「未来を閉ざす」決断って、最原の抱える課題とか成長とか、もしくはこの作品全体のテーマにおいてどういう意味を持つんですか?


例えば、対比として出てきた2だったら、自分自身を信じられないっていうコンプレックスを抱えていた日向創が、初めて自分自身を信じて作品テーマでもある「未来」へと向かうっていう見事な決断になってる。かつ、その決断には自らの命に代えて信じることの尊さを説いた七海の想いも載ってるし、ちょっと深読みするなら「希望」を求めた狛枝の想いも間接的に載ってるともいえる。


対してV3の最原の決断は?『「未来」を閉ざす』ことと、この作品のテーマである嘘とかフィクションの関係って?もしくは、百田の言ってた「根拠がなくても自分が信じたいものを信じろ」ってこととか、嘘を貫き通した王馬との関連は?最原の抱えていた課題との関係は?


全くないってことはないんだろうし、自分が気づいてないってのもあるかもだけど、正直あんまなくね?って個人的には思っちゃう。最後の決断に作品のテーマとかキャラの想いが載ってないとカタルシスがすくないよね。



決断にのっている想いも良くわかなかったかと思えば、なんか結果的に3人は助かってるし。3人が助かってキーボが死ぬのはなんで?まあなんでもええか。最後の、物語が終わった後のキャラクターはうんぬんかんぬんのところは物語で回収しきれなかった内容をテーマに合わせて言うてるだけやろと思ってしまったので、特にいう事はないです。何か大切な意味があれば教えてください。



◆総評


1より全然面白かったのに愚痴みたいなのは無限に出て来る変なゲーム。
面白さの総量はすごいのに、その面白さの波のコントロールが(プレイヤーの満足度的な意味でいえば)致命的に下手っぴだなぁという印象。
まあ、自分は色々喋ったり書いたりできる作品が好きなので色々言ったけど結構好きっちゃ好き。(今回は勢いで書き散らしてしまったので、もうちょっと丁寧にV3に寄り添ったやつもまた書きたい。)


 

 

 

狛枝凪斗はなぜ「絶対的な希望」を求めたのか



(この記事はダンロン2本編と狛枝凪斗に関するあらゆるネタバレを含みます)

 

 

狛枝凪斗はなぜ「絶対的な希望」を求めたのか


はい、みんな大好き狛枝クンです。僕ももちろん大好き。狛枝の魅力と言えば、やっぱり「闇が何重にも重なり合ったせいで、その闇が眩しく輝いているような……そんな……絶望と希望をグチャグチャに混ぜ合わせたような目」をしながら、絶望を糧に絶対的な希望を追求し続けるその強烈な思想・キャラクター性だろう。

 



巷では「希望厨」「希望キチ」とも呼ばれているようで。正直こういうネットのノリはあまり好きではないものの、狛枝に限ってはあまりにも的確だ。




彼の希望ジャンキーっぷりこそがスーダン2のテーマを輝かせ、本人もまた5章において本ゲーム史上最高瞬間風速のトリックで、日向達を絶望の渦に陥れて、希望の輝きを追い求めながらながら散っていく魅力あふれるキャラだったことは言うまでもない。

 



ただ、改めて振り返ってみれば、ここで少し疑問に思うこともある。あれ、なんでこいつ「希望」、それも「絶対的な希望」を求めてるんだ?と。もちろん作劇場の理由はいくらでもある。前作主人公元祖「超高校級の幸運」苗木誠からの引継ぎ要素であり、かつ裏切り要素であるとか、希望の高みを目指すために絶望を呼び込む性質があまりにもデスゲームと相性が良すぎるとか、ダンガンロンパのテーマ「絶望」「希望」を孤独に内側に抱え込ませることで、最終的に七海・日向の「仲間」「未来」を「信じる」気持ちに敗北する良きライバル兼ヴィランにするため、とか・・・。

 


ただ、ここで言いたいのはそうじゃない。問題はなぜ「狛枝凪斗」というキャラクターはこのような思想を持つに至ったのか、というそれより前の部分のことだ。本編内で、ありえないほどに執拗に希望に(そしてそれを生み出す糧としての絶望に)異様な執着を見せる狛枝だが、彼が希望に執着する理由自体はほとんど語られない。この理由の語られなさも、狛枝の希望の狂信者としての側面を強めており、「希望厨」「希望キチ」と揶揄されるゆえんの一つではあるだろう。



もちろん、理由を持たない狂信者の方が常人を寄せ付けないという意味でキャラとしての強度があるし、そういった側面が狛枝の魅力を引き立てているのは疑いようのない事実ではあるだろう。あるいはこうやってあれこれ人の裏の行動原理を推し量ろうとすることが孕むある種の暴力性について意識する必要があるかもしれない。モノクマの言を借りるなら「他人を自分の枠に当てはめて理解した気になるのってさ、すっごく傲慢だよね」*1ってやつ。



・・・ええい!うるさい!やらせろ!!!!!!キャラのことをあれこれ想像する楽しみを奪わないでくれ!(誰も奪ってないでちゅよ・・・)



というかさ、キャラ読みだって飛躍をなるべく少なく厳密に突き詰めていったら物語の構造理解と相互にリンクしてるんだと思う。このゲームってそれを目指したんだと思うし、そういう構造と調和するキャラ読みを目指してみたいよね。このゲームの劇的な演出家であり、テーマ性の体現者である狛枝凪斗の、弱い人間らしい部分に着目してみることで見えてくるものもある・・・と思うよ。



【補助線① 存在は才能によって規定される】



 

「才能を持つっていう事は、その才能に縛られるって事」

 

5章の七海のセリフであり、ダンロン2の2大テーマ*2ともいえる重要な発言だ。
才能というのは、単に憧れられたり、自分の役に立つ道具なんかではく、その才能が強ければ強いほどそれによって自らの存在が縛られていくものだ。その最たる例は世界の絶望を体現する存在としての「超高校級の絶望」江ノ島盾子だったり、文字通り「超高校級のゲーマー」という「設定」を与えられた七海千秋だろう。*3では、狛枝のことを理解する為に狛枝の「才能」について軽く触れてみる。


(狛枝凪斗の「才能」について)
狛枝凪斗の才能は超高校級の幸運。ただし、幸運といっても単に運がいいわけではない。絆イベントにおける狛枝のたとえ話を引いて確認してみよう。

・家族で乗った飛行機がハイジャックされる→握りこぶしくらいの隕石が降ってきてハイジャック犯に当たり助かる→しかし隕石は両親2人にもあたって即死→莫大な遺産と自由を手に入れる

・殺人犯に拉致される→殺人犯に詰められたごみ袋で宝くじを見つける→無事救出された後その宝くじ3億円当選


・ガンと脳が委縮する病気で余命半年~1年の宣告→希望ヶ峰学園への入学決定


これは本人によれば単なるたとえ話らしいが、おそらくすべて事実だろう。*4なぜなら狛枝は絶望病でウソツキになっていたからだ。本来の性格が反転する絶望病でウソツキになるということは、狛枝は基本的には嘘をつかないはずだ。


何にせよこれで狛枝の才能「超高校級の幸運」とは、自らの意志ではどうにもならない不運と、それより更に幸運が荒波のように寄せては引いてを繰り返すようなもの、として理解できるだろう。


なるほど。才能に縛られるというテーマからも、「幸運⇔不運」と「絶望⇔希望」の類似した対応関係から見ても、狛枝の「絶対的な希望」を求める気持ちは狛枝の「超高校級の幸運」と何らかの関係で結びついていることは間違いないだろう。ただし、ポイントは、あくまで「希望=幸運」「不運=絶望」ではないことだ。おそらくその間を埋めるピースがもう少し必要だろう。

 

 

【補助線② 狛枝の隠れた本音】

本編では「希望厨」として振る舞い続ける狛枝の本心を知ることは難しい。だが、そんな狛枝が本音を吐露したであろうシーンをここでは2つ取り上げる。



①3章でウソツキ病に感染したとき

 

 

 

狛枝 「日向クンと2人きりか…キミと一緒なんてボクには堪えられないよ」
日向 「安心しろ、俺はもう行くから。お前もその最悪な病気を治す事に専念しろよ」
狛枝 「うん、さっさと行っちゃって。もう顔も見たくないからさ」



  ここでの狛枝は「ウソツキ病」に罹患している。なので、ここで彼が語る言葉は全て反転して読み取らなけらばいけない。つまり、
「日向君とは一緒にいたい」し、「日向君にはいかないでほしいし、顔を見ていたい」ということだ。カプ厨大歓喜シーンではあるけどいったんそれは置いといて、ここで重要なことは、狛枝は本心では人とのつながりを望む人間らしい弱さを抱えたキャラである、ということだ。

 

 

②アイランドモード親密度MAXのセリフ

 



「…………………日向クン、ボクはこの島こそがボクの死に場所じゃないかと思ってたんだ。おぼろげな希望だけを頼りに不運と幸運を繰り返す人生からやっと解放されるって…ボクはいつもどこか、手の届く場所、目に見える範囲に希望を探してた。」

 



アイランドモードはクリア後特典であり、その実態はコロシアイが一切起きなかった60日間の平和な南国修学旅行である。上記のセリフは、平和な南国生活を過ごす中で親密度をMaxまで上げたときに聞けるものであり、狛枝凪斗というキャラの心を理解するうえで圧倒的最重要セリフだ。


ここで述べられていることは大きくわけて2つだろう。

・→不運→大きな幸運→不運→大きな幸運→という、強大な才能によってもたらされる運のループ構造、そしてそのループ構造に振り回される自分の人生に行き場のない閉塞感と諦念を抱いていること

・逆らうことのできない運のループ構造において、「おぼろげな希望」ではそこから抜け出すことはできず、むしろ自分を苦しめ続けていたこと


【「幸運」という才能がもたらすループ構造】

補助線①と②を踏まえると、ようやく狛枝がなぜ「絶対的な希望」を求めていたのか、狛枝の心の答えに近づける。そして、これをもとに推論を進めていくと、なぜ狛枝が「超高校級の才能」を持つ皆に「超高校級の希望」を求めるのかという答えも出て来る。どういうことか。まず、狛枝自身は自分が自身の才能を打ち破ることができないことはこれまでの人生の中で嫌というほどわからされてきしまっている。自分の才能である幸運、そしてそれがもたらすループ構造から自ら抜け出すことはできないと、自分を信じることをあきらめてしまっている。いや、幸運と不運の繰り返しなんて別に常人でも起こることではあるだろう、という反論は正しい。、というか、そんなの当人の考え方次第かもしれない。だが、狛枝にとってはそれが才能によってその揺れ幅がとてつもなく強化されていること、そしてその揺れ幅の苛烈さが狛枝の人生の見方を「不運」→「幸運」の繰り返しとしてしかみなせなくするほどに絶大な影響を与えていることがポイントだ。

 

 

その裏返しとして、才能の強大さは身に染みて理解している。だからこそ、ことあるたびにコロシアイ生活の中で彼が繰り返すように、「超高校級の才能」を持つ皆が集まったこの場ならば、もしかすると「絶対的な希望」を目にすることができるかもしれない、と考えたのだろう。いや、もう少し厳密に、そして今回の記事の肝として述べるならば、彼が「絶体的な希望」を目にすることによって求めたものとは、不運→幸運→不運→また幸運・・・といった繰り返されるループ構造が破壊されることだったのではないだろうか




先ほど希望と幸運、絶望と不運は同じではない、という話をした。ただし、上に述べたような狛枝の人生観にとって、正と負の価値を持つものが繰り返されるループ構造という視点から見れば、その意味においては運と希望は同じ意味合いを持つという事は言えるだろう。

 


だから彼は中途半端な希望は求めないのだ。むしろ島の皆が抱く(彼からすれば)中途半端な希望は、狛枝自らが持ち込む絶望によって破壊しようとする。自分が運において経験してきたような、寄せては返す希望と絶望の起伏の波にさらわれているようでは、話にならない。自分にはできなかったその乗り越えを、他の誰かが成し遂げている姿を見てみたかった。そしてその乗り越えを間近で目撃することによって、運に振り回され続けることが決定している自分の人生の可能性・意味を、別の形で信じることができるようになりたい、というのが彼の持っていた隠れた願いだったのだ

 

 

ただし、自分の弱さ、人間らしさを受け止められない彼は、それは表には「希望キチ」「希望厨」という形で表現してしまうし、本編ではその傷ついた心の理解者はついぞ現れなかった。



【「他者と繋がる経路の切断」と「純粋なる目的としての希望への奉仕」】

そしてそんな狛枝の歪んだ願いは虚しくも打ち砕かれる。4章のデスルームのクリア特典で狛枝だけが知った、自分たち全員が「超高校級の絶望」だったという事実によって。



ここでの狛枝の変化を狛枝が言うような「希望」を軸に理解すると、超高校級の才能の皆に求めていた「希望」を諦めて、むしろ自らが命を賭して「超高校級の絶望」を全滅させることによって「超高校級の希望」になり変わろうとしたものだ。


『ボクを…超高校級の希望と呼んでくれ。』

 

この切り替えの速さが「希望厨」たる所以とも言えるが、自分はどうもこのシーンで違和感を覚えていた。ん?狛枝ってこんな感じだったっけ。いや、確かに「希望」を求めるという意味では一緒なんだけど、死んだ自分が周りから「絶対的な希望」と呼ばれるのってちょっと別の話じゃないかな・・・と。もちろん狛枝が言うように実は「日向君のような承認欲求がボクにもあった」可能性もあるが*5、そうであったとしてもこれまでの狛枝とずれが生じていることは間違いない。


だからやはり個人的には、前向きであれ別の何かであれ、「超高校級の絶望」の事実を知る以前・以後の狛枝には大きな断絶があるのだと考える。そしてその断絶とは、これまで述べてきた狛枝が「本心」では求めていたものと完全に決別した事、つまり、「他者と繋がる経路の切断」だ。



「他者と繋がる経路の切断」とは、狛枝が超高校級の才能を持つ皆への期待を辞めたことだ。もちろん元々人とつながることが不得手で、「希望」目的で彼らの才能頼みの部分が大きかったとはいえ*6、だからこそ彼にとっては最後の他者と繋がる綱だった「希望」を媒介にした期待・憧れと言った関係の経路が完全に絶たれた事実は大きいだろう。そしてその裏には「ウソツキ病」で見せた本音のように、そこには彼らと心情的な意味で繋がりたいという思いも隠されていたはずだが、狛枝はそれごと他者を完全に切り捨てたのだ。



そして、狛枝は常日頃から口にしていた「希望のためなら自分は犠牲になってもいい」という言葉を実行に移したのが5章の事件と言える。ここに「純粋なる目的としての希望への奉仕」は完成する。本来自分の閉塞した人生のループ構造を打破してくれることを期待したはずの希望のために自分の人生を捧げる。この事件は狛枝の思想面からいえば悲願の達成であると同時に、感情面においては目的と手段がすり替わった悲劇でもある。


ここで打ち捨てられた2点はどちらも、前半で弱い狛枝クン、人間としての狛枝クンの一面として指摘したものだ。だから、ある意味ここで狛枝は本物の「希望厨」となり、人間としての自分を捨てた、と言えるのかもしれない。



【狛枝が本当に欲しかったものとは】

「超高校級の幸運」という類まれなる強大な才能によって人生を規定されたがゆえに、そのループを破壊する可能性を求めて「超高校級の才能」達に「超高校級の希望」を求める。しかし、「超高校級の絶望」によってその道は諦め自らが「超高校級の希望」として名を残すことを願って人生を終える。



こうして整理してみると彼の人生はあまりにも構造的で理路整然としていて、そしてあまりにも杓子定規で不器用だと感じる。*7この概念や構造への傾倒が何から生まれたのかまでは知る由はないが、もしかしたら才能に翻弄され家族を含めた周りの手触りのあるものなにもかもが運命に弄ばれていく中で、寄る辺として崩れることのない絶対的なものとして、物理的に揺らぐことのない概念や構造に頼らざるを得なかったのかもしれない。

 

そして、その杓子定規の中に無理やり収めて抑圧し、そして本編では最後に切り捨てられたものこそが、自分の人生を肯定したい、意味を見出したい、他者と繋がりたい、という、ちっぽけだけど切実な、等身大の人間としての願いだったのだろう


本編とは異なるパラレルワールド、もしかしたらありえたかもしれないアイランドモードでの平和な60日間の生活で、日向と絆を深めた狛枝が語る言葉には続きがある。

 

「…………………日向クン、ボクはこの島こそがボクの死に場所じゃないかと思ってたんだ。おぼろげな希望だけを頼りに不運と幸運を繰り返す人生からやっと解放されるって…ボクはいつもどこか、手の届く場所、目に見える範囲に希望を探してた。

でも、今は…違う。
この島でキミと過ごした日々が教えてくれた。
希望は始めから…このボクの中にもあったんだ。」

 

なら、それに気付く事ができたのは
幸運なんじゃないのか?

 

「そう考えるところが素人の甘いところだよ!
だって、自分の中の不確かなものなんてどうやって探せばいいんだい?
それでもボクは知ってしまったんだ。いつでもこの胸に希望があるって…」

 

なら、もうそう簡単に死ぬだの殺すだの言えなくなったよな。自ら希望を消すのはお前の本意じゃないだろ?

   

「…ほんと、まったくひどい不運だよ!
だからそろそろ、少しくらい幸運に恵まれてもいいんじゃないかなと思うんだ。
だから…今なら言えるかな、って。」

 

言えるって…何をだ?

 

「………………日向クン…ボクと、友達になってくれるかい?

 


それを受けて日向はこう心の中でつぶやく。

 

「え………?ああ…なんだ。…そんなことで、よかったのか…」


と。

 

 

そう、そんなことでよかったのだ。
自分の中にも希望があることを認めて、自分を愛すること。
絶対に壊れない確実なものだけでなく、脆く不確かなものにも価値を見出すこと。
そして、不確かな誰かとの関係性の可能性を信じて未来を生きていくこと。

 

この一連のセリフは全て素晴らしいが、「少しくらい幸運に恵まれてもいいんじゃないかなって思うんだ。だから、今なら言えるかなって、って。」の部分が特に個人的には好みだ。

 

 

自分から行動を起こして、日向と友達になろうとすることは、受け身で翻弄されるような不運・幸運の範疇を超えているし、不確かな関係性を求める姿は明らかにこれまでの狛枝とは異なることは間違いない。狛枝にとってはこの1歩はあまりにも遠くてあまりにも重い。だからこそ、これまで自分を規定してきた「幸運」という言葉を照れ隠しの言い訳として、そして今まで歪な形とはいえ自分を支えてきた「幸運」を、自分を奮い立たせる励ましの言葉として用いるのだろう。「幸運」という才能に頼らずに、しかし「幸運」によって形作られた自分自身を確かな支点として、新たな一歩を踏み出す狛枝の姿はとても眩しい。

 

 


だが、これは叶わなかった未来だ。恵まれた才能がありながら、いや、それがあるからこそ、そんなことだけが本編では難しかった。そこに狛枝凪斗というキャラクターの悲哀と魅力があるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:確かこんなセリフあったんだけど思い出せないからAIモノクマです。覚えてたら誰か教えて。

*2:もうひとつは「信じる」。本当はそっちで書こうとしてたけど本編から離れたお気持ち議論になりすぎそうだったので後回しにした。

*3:ただ、才能の種類によってグラデーションがあるのも間違いない。http://blog.livedoor.jp/jjj2017/archives/19638933.html←このブログはキャラをC~Sまでランク付けするユニークな視点から構造読解をしていて最高だが、個人的にはキャラとは別に才能にも縛り具合によってランク付けがあっても面白いと思う。例えばCランク「超高校級の写真家」は余暇の過ごし方を定める程度だが、Bランク「超高校級の王女」は生き方を規定する。Sランク「超高校級の希望」になればもう縛られるというか、その人の人格や世界の意思とかそういうスケールの話になるとか。基本的には高いランクの才能ほど縛りの強さに比例して影響範囲も強くなり、基本的にはキャラランクとも比例しているとは思うが、キャラとの組み合わせ次第で縛り具合に関しては変わって来るのも面白そう。(例えば「超高校級の保健委員」は単なる役職程度の縛りのはずだが罪木蜜柑がその才能を持つことによってある種倒錯した形で居場所を見出していく姿は縛りというより自発的な縛られ?という感じで独自の相乗効果だと思う)

*4:だから脳の病気であることや余命半年~1年というのも事実であり、これが狛枝にとって思想や行動に大きな影響を与えていることは恐らく間違いないだろう。しかし、これは狛枝にとっての重要性とは対照的に、ゲーム内では一切深堀されず、狛枝の才能の苛烈さを示し、その悲劇性を高めるための具体事例の一つにすぎない。本編では直接描かれない個別の具体事例に注目しすぎても理解はむしろ損なわれるし、実際全て「病気のせい」「余命のせい」で済ませるのも面白みがないだろう。狛枝が語るこれらの事実はそれら総体として、「狛枝の人生が自分ではどうにもならない不運→幸運の連続に支配されてきた」という認識でこの記事では扱うこととする。

*5:急で違和感があるのは普通にテーマ上の対比として狛枝に押し付けられたものだから、という見方は全然ある。モノミの「英雄になるひつようなんかないんでちゅよ。」の反転。「そうやって自分を好きになれば・・・その"愛”は一生自分をおうえんしてくれるんでちゅよ。」(自分を卑下する狛枝)とかもそうだけど、狛枝はとにかく「未来機関」が求めるもののアンチテーゼを体現してる。でも、キャラ読みとしてはそれでは説明にならないから探してみる、というのがキャラ読みと構造読みを複合させようとするときの難しさであり面白さでもあると思う。一方では議論の余地なく明確な要素が、もう一方の読みと矛盾したり読みを阻害する時に、どうにかしてその2つの読みを調停できるような落とし所を探る的な。

*6:実際のところこの問題は大きい。結局少なくとも外向きの狛枝は他者を「才能」という能力・世界の構造としてしか把握できず、その確実さに期待することしかできなかった。これは「未来機関」の七海が不確かな短い関係性をよすがに「ただ皆を信じる」ことに最後まで徹したこととまたもや対比になっている。

*7:これは書いてて気づいたけど比企谷八幡とちょっとだけ似てるかも。(隙あれば俺ガイル語り)ヒッキーの好きなところは本物問答(「本物が欲しくて、それ以外は何もいらなかった。」「だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。」etc..)なんだけど、これは問答の内容自体というよりは、そのように概念先行でしか生きられない不器用さと、それでも一歩も引かずにそれを押し通して何かに辿り着こうとするあり方が好みだから。そういう意味でなんとなく同じ理由で惹かれる気もする。

『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』1周目の思い出

これからやりこみ要素やっていくけど、1周目の島のみんなと過ごした記憶が薄れたり、上書きされるのが悲しいので、プレイ時の記憶を備忘録にまとめていく。キャラとの思い出中心かも。ネタバレしかないので未プレイの人は見ないでね。これを書かないとクリア後のやりこみを進められないので駆け足気味。
(ここから下全てのネタバレ)

 

 

 

 

【CHAPTER1 絶望トロピカル】

日常編 プレゼント⇒罪木1→3、小泉1→3

・主人公が記憶喪失で、狛枝が超高校級の幸運、なんか霧切さんと立場入れ替わった感じやね
・なんかマップ移動変な感じやな、前みたいにサクサクすればいいのに(伏線1)
・プレゼント方式継続か、こういう時誰と仲良くなればいいのかよくわからん
・前回は霧切さんとばっかり喋ってて反省したので、もう少しみんなと仲良くすべ

・罪木はとりあえず喋ってて損がなさそうな気がした、なんか変な過去ありそーな感じ、さすがにあざといけどエロくてかわいいからヨシ!
・小泉さんがみんなの笑顔の写真撮ってるって話すごい好き、こっちはこっちで「男子が~」でトラウマ的な過去ありそう、今回は個人の内面過去掘り下げが多いのかな?

CHAPTER1裁判準備時点
(非)日常編・学級裁判

・十神??????????前作生き残り最強キャラがあっさり死ぬ絶望ヤバい
・1クリアして即始めたからってのはあるけど、結構心折れそうな絶望、今までのことが全部無駄だったのか感(ちゃぶ台その1)
・後でミレニアム懸賞問題あげて色々聞こうと思ってたのに・・・
・反論と同意あるのめっちゃ嬉しい、特に反論カットインかなり気持ちいい
・犯人花村なのか・・・キャラ的に残りそうな感じがしてたけど、色々裏切られてる感がある
・罪木のずっこけが決め手になるのは花村のキャラとも合っててうま!

・おしおきは過去エピで情に訴えて来るのね、ちょっと新鮮
・狛枝ほんまもんのヤバい奴でワロタ、序盤のあのゆるふわ好きやったけどなぁ、こいつとこれから一緒に暮らすのだるすぎ

 

 

【CHAPTER2 海と罰。 罪とココナッツ】

日常編 プレゼント⇒七海1→6

・狛枝縛られててカワイソス
・小泉がお菓子会誘ってくれた、こいついいやつやなぁ
・こういうイベントあると仲良くなれた気がして嬉しい
・ガチャいっぱい引いたらゲーム機出てきたし七海にあげてみるか
→結構喜んでくれたし話してみるとかわいかったので七海全つっぱ
・七海もなんか家庭環境複雑な感じぽい、でも新鮮なリアクションしてくれて嬉しいね
・最後のコミュで「ここから出ても忘れないで」って、このゲームでそれ言ったらかなりまずい、でも好き

・水着いっぱい見れて満足、インドアキャラの水着って3倍増しでいいね
・ゲーム内ゲームは楽しいけど、1と比較して提示される動機がかなり具体的やな、狙い撃ちというか
・無理くり殺し合いさせられてる感じがしてなんかやだ

CHAPTER2 裁判準備時点
(非)日常編・学級裁判

・小泉マジか・・・もっと仲良くなりたかったよ
・九頭竜プッツン早すぎやろ、今回完全にこいつが悪いやんけ

・ペコと九頭竜との過去といい、提示される動機も、そこからずれた実際の犯行の動機も両方過去絡みなのね、置いてきぼりの気分
・トリックもグミの件とか、剣道のやつとか、検証パートで提示されてない謎が多くて、なんか後出しじゃんけん感がちょっとあるかも

・お仕置きの件も知らない過去だからあんま乗れない、1のときの尊厳破壊好きだったんやけど今回は控えめやね
・西園寺が怒るのはそらそうや、まひるお姉を返せ!



 

【CHAPTER3 磯の香りのデッドエンド】

日常編 プレゼント⇒西園寺1→5


・西園寺が葬式のやつ作ってあげるのかなり好きやわ
・帯の話と言い、なんかほっとけない感じ
・真昼が死んで悲しかったので、ちゃんと悲しんでくれてる西園寺と一緒にいたい気がしたので今回の日常編は西園寺一択

・んんん?絶望病???マジでなんでもありやんけ・・・殺意高杉
・従順になった澪田おもろい
・保健委員罪木の本領発揮って感じか、こいついいやつやなぁ
・澪田今まであんま意識してなかったけど、ライブとかセッションとか誘ってくれて嬉しかった
・真昼といい、こういう状況下で無理にでもみんなと仲良くしようと行動してくれるキャラ結構好きなんかもな、いい思い出

CHAPTER3 裁判準備時点
(非)日常編・学級裁判

・澪田と西園寺・・・ここで2人抜き、しかもこの2人ってのは相当キツい
・殺し方も凝っててなんかエグイなぁ、犯人の見当がつかん
・早々に罪木がアリバイで外れて一安心
・また見立て殺人かいな、さっき似たようなのやったやん
・え、なんかアリバイ崩れたけど、じゃあ怪しいのって・・・
→「怪しいのは?」で罪木を選びたくなさすぎた、まだ引っかけあるよね?
・「お前しか、いないんだ・・・」みたいなセリフも感情こもっててかなり好き
(コナンとかでよくある探偵の苦悩みたいなやつを始めて実感した)
・信じたいやつ相手のパニックトークアクションと反論ショーダウンしんどすぎる、ゲームとしてはバカにしてたけど演出としてはよくできてるなぁ
・罪木さん豹変して涙目、本当にびっくりした(こういうの全然事前に気づけない)
・ここで超高校級の絶望との過去かぁ、マジ絶望っす
・単に絶望病のせいなら理不尽すぎて逆に諦めがついたけどね、2は過去からは逃げられねぇぞってことなんかな
・狛枝はちょっと黙っててくれないか?
・殺されたやつ、絶望病、犯人の過去・動機諸々あわせてここでの生活が全部否定された気がしてとにかく悲しかった

 

 

 

【CHAPTER4 高校級のロボは時計仕掛けの夢を見るか?】

日常編 プレゼント⇒ソニア1→5,狛枝1→1


・仲良くなったやつ七海以外狙ったように全員死んでしまって虚無
・メカ弐大とかもなんか心があんま追いつかない、弐大が戻って来るかも、みたいなので前回の切り替えできんのすげーわ
・何この変な部屋・・・
・声が好きなだけでソニアさんと仲良くしてみる、でもあんまり好きにはなれない・・・
・狛枝のことそろそろ気になってきてプレゼントあげたけどお気に召さなかったらしい

CHAPTER4 裁判準備時点
(非)日常編・学級裁判

・トリックおもろいけど、展開図とか苦手なんで無理、ざっくりネタがわかったら細部詰める元気がない
・なんか「考え事してるから後でね」って七海が相手してくれなくなって寂しい
・とりあえず七海を見つけたら話しかける癖がついてきた
・ガンダムかっこえー、死ぬ前に仲良くなっとけばよかった、こんなんばっか
・狛枝(第三形態)怖い、今になっては第二形態がちょっと懐かしい

 

 

 

【CHAPTER5 君は絶望という名の希望に微笑む】

日常編 プレゼント⇒ソニア5→6

・ソニアに高価なものあげたら賄賂って言われた突き返された
・狛枝が本当にキマってしまった、何周か回って好き

CHAPTER5 裁判準備時点
(非)日常編・学級裁判

・嫌な予感がする、とはいえ、ここで狛枝が死んだら厳しくね・・・?
・ホンマに死んでる、ってか、なんやこの死に方・・・

・武器といい、言動と言い、ソニア怪しすぎやろ・・・
・でもなんか狛枝自殺路線で話進んでる・・・だとしたら怖すぎるし動機が分からん
・あー、倒させて火つける仕掛けで誰かに自分を殺させたかったんかな?
・(からのその後真実を知りひっくり返る)→このトリックが1,2含めて圧倒的に一番好き、狛枝のヤバさをここまで引き出せるトリック本当にすごい
・「裏切り者って誰なのかな」→ん?あんまり頭が追い付いてない
・正直七海指さしたけど、罪木の時みたいに指さしたくない、まで感情が追い付いてない、あの時はうっすら嫌な確信があったけど今回はあんまりよくわかってない
→モノミの日記読んでるときにここは本当に自分で気づきたかった、連日の夜更かしで脳が限界に近づいていたっぽい
・議論中のノイズがモノクマとモノミの会話になってるやつ好き
・裏切り者とか、モノミの仲間とかよくわからなかったけど、とりあえず七海がいなくなるのは悲しかったけど感情が麻痺気味

・おしおきもモノミ引っ張って一緒に逃げるところとか見てて辛かったけど、なんかもうよくわからん

 

 

 

【CHAPTER6 This is the end ~さよなら絶望学園~】

探索パート

・学園探索中は情報過多でもうなにがなんだか
・アルターエゴ久しぶりに会えて嬉しい

学級裁判

・ちゃんと選択肢が両方とも絶望なのがかなりいい、しんどい
・怒涛の情報公開に頭ではうおーーってなるけど心は追いつかない
・キター、久しぶりの三人!!!
・でもずっと蚊帳の外というか相手にされてない感(上手くできてるなぁ)
・特に、日向の正体がわかってからの選択の絶望は本当に見事、心の底からどっちも選べなかったし、選ぶ気力も残ってなかった
・なんか、さすがにどうしようもなさすぎてうっすらモノミと七海に期待してたけど、都合のいい救い方はされるわけがない、という信頼と絶望があった
・ここにきて残ってるメンバー(特に左右田)に親近感わいてきた、同じ絶望を味わってるんだなという確信があった、演技がよすぎる
・理屈はうまく説明できないけど心の中の狛枝を支えになんとか進めてた感がある

・永遠の南国生活のループから脱出の流れでこのゲームの最高地点更新
・本当に八方塞がりだと思ってたところから、言ってみれば状況自体はほとんど最悪から変わってないのに、七海の言葉で一気に見え方が変わるあの感じ、完全に日向とリンクできてた感じがする
・あの辺り演出もすべて最高、1でもあった言葉を1つずつ変えていくやつ好き
・ここにきてようやく七海を失った悲しみとか、島のみんなとの思い出とか、それにどんな意味を与えるのか、みたいなことが溢れてきてドラ泣き
・正直全然好きなキャラじゃなかったけど、6章で日向めっちゃ好きになった



【ざっくり総評】

・2とは言いつつ1もまとめての集大成感
・とにかく絶望の演出が上手いなぁ、あの手この手で1と比べて絶望が数段上だった
・なんか自分ってプレイヤーの見本というか、想定された感情の動きしすぎでは、という気もしたけど、ここまで綺麗にノれると普通に嬉しいし、ゲームやってて一番楽しい瞬間かもなぁ、とはいえ多分普通に設計が相当上手い
・これまでの展開・経験を無意味・無駄にする絶望、みたいなのをテーマとはいえ繰り返し続けて、それなのにプレイヤーを辞めさせずに最後にまとめ切るゲーム演出?シナリオ?なんか色々すごかった、プレイしてよかった!

2026年1月27日(よりもい6話「ようこそドリアンショーへ」について)

よりもい(『宇宙よりも遠い場所』)って本当にいいアニメですよね。各々好きな話があって、多分5話のキマリとめぐっちゃんの(ひとまずの)決別の回とか12話のしらせの回とかは多分大人気のはず。もちろん自分も大好き。

 

ただね、個人的には6話「ようこそドリアンショー」がたまらなく好き。なぜ好きかといえば、よりもいのテーマ性と人間関係の魅力が見事に交差する回だと思っているから。そもそも、よりもいのテーマって何?って聞かれたら、もちろん表テーマは宇宙よりも遠い場所、「目指せ南極!」ではあるけれど、じゃあ精神的なテーマは何って話で。それは多分「意地を張れ!」ってことなんだよね。

 

そもそも、メインの小淵沢報瀬(しらせ)ってキャラクターが初っ端から意地の塊みたいなキャラクター。母親が消息不明になった南極をただひたすら目指してて、学校でみんなに冷やかされてもむしろそれをバネにして南極行くために100万円貯めてって。ただ、正直この時点では、うお、意思つよくてすげー、憧れー、みたいな他人事ではある。


まあ、キマリ視点はともかくとして、正直5話以前では視聴者視点しらせって、この初めに抱いた感覚からはそう遠くは離れていないはず。意志が強くて、強情で、南極に行く夢に一直線のちょっと危ういまさに主人公って感じ。

 

じゃあ、それが6話でどうなるのって話だけど、その前に三宅日向(ひなた)ですよ。6話といえば。ひなたはといえば高校ドロップアウトして、フリーターで、の割には明るくさばさばした感じでっていう、ちょっと不思議な感じのキャラクター。正直まだあんまりひなたのこと知らねんすわ俺。

 

 

そんな2人が6話でぶつかり合う。きっかけはひなたが自分のパスポートを落としたことからはじまって、最終的には「ひなたを置いて3人で南極に向かうVS4人で一緒に南極に行く」のバトルが始まる。このバトルってのが、言っちゃえばひなたとしらせの意地のぶつかり合い。ひなたの場合その意地ってのは、「人に気を遣われる、気にされることが苦手で、それに耐えられずに高校を辞めた」っていう過去のトラウマからくるもので、だから今回もパスポートをなくした自分を他の3人が気を遣ってくれるのが耐えられない。他でもない自分のために3人に自分を置いて先に南極に行けというのだ。ひなたぁ・・・。

 


じゃあしらせは?っていうと、パスポートの話が始め出たときは自分の昔からの夢であり意地である「南極に行くこと」が揺らぐと思ってモヤモヤしていた。でも、すぐに気を取り直してやっぱり4人で行こう!って伝える。そこからはガチンコバトルスタートだけど、このしらせとひなたのバトルの結末が素晴らしい。しらせは4人で飛行機に乗るために空港のカウンターに100万円をたたきつけて、カタコトの英語で飛行機を変更してくれと必死に懇願する。この100万円はさきに言った通り、しらせが自分の夢であり意地である南極のために貯めたなけなしの100万円だ。当然「おい!まて!」ととめるひなたに向かって、しらせは周りの目も気にせずぶちまける。

 

「うるさい!」
「意地になって何が悪いの?」
「私はそうやって生きてきた!」

 

「意地張ってバカにされて嫌な思いして、それでも意地張ってきた」
「間違ってないから!」

 

「気を遣うなって言うならハッキリ言う」
「”気にするな”って言われて気にしないバカにはなりたくない!」

 

「”先に行け”って言われて、先に行く薄情にはなりたくない!」
「”4人で行く”って言ったのに、あっさり諦める根性なしにはなりたくない!」

 

「4人で行くの! この4人で!」
「それが最優先だから!」

 

 

し、しらせぇ・・・。マジかっけぇ。実際ここは何回見ても涙ちょちょぎれるが、ようやくここでしらせってキャラのことを真に理解する。これまでしらせは南極に行くことに意地を張っているキャラだと思っていたけど理解不足だった。より正しくはしらせの生き様がそもそも意地を張ることだったのか、と。そして、しらせの生き様であるところの意地ってのは、自分がこれまで生きてきた延長線上にあって、そして自分がこの先生きていく道は他でもないこの道しかありえない、と宣言することなんだろうなと。

 

 

対して、ひなたの意地は、自分がこれまで生きてきた延長線上にあって、そして自分がこの先生きていく道は他でもないこの道しかありえない、と囚われていることだった。この囚われと宣言の差はとてつもなく大きく、だからこそこの2人の意地の張り合いの勝負は初めからしらせの勝ちで決まっていたんだろうな、とここで気づく。

 

 

さて、ここでよりもいの精神的テーマの話に戻ろう。よりもいの精神的テーマとは「意地を張れ!」としたけれど、ここまでを踏まえてアップデートすると、メインテーマは「意地を張れ!ただし、囚われるな!宣言しろ!」になる。実際、この後ひなたも、ゆづきも、そしてきまりも、南極までの13話の旅を通してそれぞれ自分の環境のしがらみから解き放たれて、高らかに意地を張って生きていく術を身につけていく。他にも、南極観測隊の大人'sの面々やキマリの親友めぐっちゃんもそうだろう。6話は、1話でこのよりもいのエッセンスをギュギュっと濃縮したドリアンみたいな(?)話であり、この物語のテーマを指し示すコンパスとしても見事な回だろう。南極だけに!南極だけに(?)

 

 

さーて見事な回ついでに、この回の人間関係の魅力についても付言しちゃおう。個人的な感触として、6話ではしらせとひなた2人のキャラクターについて「こいつこんなやつだったよなぁ」と「こいつこんなやつだったのか!」の二重の理解の深まりがあった気がする。どういうことか。つまり、すでに与えられた設定から逸脱せずキャラ像を提示、と、その設定を拡張するような適切な過去エピソードを通してのキャラ像の深堀り、を1話でまとめてやっているのだ。それは

しらせでいえば「こいつやっぱ意地っ張りやなぁ。けど、こいつの意地っ張りって生き様から始まってるものだったんやなぁ」だし、

ひなたでいえば「こいつやっぱりお気楽やなぁ、けど、そのお気楽さって自分をどこか諦めているからこそのものなんかなぁ」というやつだ。

 

 

設定から逸脱すればキャラクターは連続性を失って同一のキャラクターとして愛されることはなくなり、設定に安住すればキャラクターは単なるデータに成り下がる。当り前だが、だからこそ厄介なこのキャラクター描写の微妙な塩梅を、作品テーマと絡めつつ2人同時に華麗に調理する手腕はまっこと見事としかいいようがない。そして、だからこそやはり「ようこそドリアンショーへ」はよりもいでも屈指の神回と言えるのだ。

2026年1月13日(抱負と徹底について)

例年通りのことではあるのだけれど、年末年始は比較的調子がいい。ここでいう調子がいいとは、自分の思う理想の生活に比較的近いということ。理想の生活は、自分が学びたいもの、読みたい、見たいと思っているものを意識的に摂取できていること。できる人にとっては当り前のことなんだろうけど、自分はとにかくこれが苦手で、着実に一歩ずつ積み重ねてきた人の背中がはるか遠く見えなくなって久しい感覚がある。積み重ねを拒否する場当たり的なあり方が自分の生き方だと開き直った時期も大学生のうちの何年間はあったけれど、結局開き直りきることもできない性分だという事が後に判明した。あの頃は、今さら追いつけるはずもないのに、とか、苦手なこと無理してやったってしょうがない、みたいな諦念があったような気がする。今思えば、そもそもレースではないし、苦手だからやらない、というたぐいの話でもないと思うのだけれども。まあその時はそういう風に真剣に考えてたのだから仕方がない。別に場当たり的だから得るものがないというわけでもなく、それはそれで得るものもあったけれどもういいでしょう。あまり後ろを振り返らず、楽しみながらコツコツ積み重ねていきましょう、というのがさしあたっての今年の漠然とした目指す方向性かな。

 

もう少し具体的な抱負の話としては「徹底」があったりする。1か月単位で何かのテーマを決めてそれを「徹底」してみる。*1テーマは何でもいいけど、取り組みやすさ的には人物ベースがいいかもしれない。自分なりの1か月の「徹底」を通した理解の結果を月末にブログに書いていこう。1月のテーマは今のところ散逸しているけれど「カント」でいこうかな。もちろん1か月でできる範囲内でしかないので大したところまではいかないだろうけど、ある程度は正統に王道を理解して地固めをしたいという意思がある。とりあえず今のところの関連書籍の流し読みでハッとさせられたのは「超越論的統覚」周りの話で、ここは明確に自分の考えをアップデートする内容が含まれていそうなので、この辺のなるべく丁寧に理解に残り2週間は重点的に割いていきたい。まあ、全部やるのは難しいしね。

 

抱負についてはこのくらいにして「徹底」という言葉についてもう少し詳細に。最近読んだ北森嘉造の『憂いなき神』と『聖書の西洋精神史』にこの言葉が出てきてたいそう気に入っている。北森は文学の価値はどこまで徹底して人間を描けているかで決まる、という話をした後に、そもそも「徹底」とは?ということを掘り下げていく。「徹底」とは底に徹する、と書くものであり、底とは内部と外部が触れ合う場所である、という。そこから、人間を描く、というのはただ人間ばかりを描く、ということではなく、人間を徹底したその先にあるもの=神を描くことによってこそ実現される、と述べる。これは文学に限らず、「徹底」の構造として非常に含蓄がある内容だと思う。何かしらを突き詰めて「徹底」することとは、深く深く潜っていきつつ、その中で完全にそれ自体に周囲を満たされて耽溺することではなく、その先にある底=外部を目指すことである。忘れないように心にとめておきたい。

 

ところで、最近会社の昼休みに、同期の人たちと占いとか宗教についての話になったときに、スピリチュアルにハマりすぎることに対する忌避感を何人かが示していた。これを聞いて、お!北森が言ってた、日本で支配的な宗教によって人間が不徹底になることを嫌う風潮ってやつか、と思ったりした。ただ、北森自身も世の中には人間を不徹底にするだけの宗教もある、みたいなことは言っていて、じゃそれってなんなんだろう、人間を徹底させる宗教とどう違うんだろう、みたいなことはちょっと気になっている。(もちろん、キリスト教神学者としての北森のこういう物言いにはさっぴいて聞くべき部分があることは理解しつつ)宗教もどこかのタイミングで「徹底」したい大きなテーマの一つだ。

 

正月とかその後に摂取した作品とかの話ももうちょいしたかったのだけど、日付を越えてしまったのでまた次の機会に。



(おまけ)チャッピーに怒られたい

正直、「徹底」という強い言葉で自分を縛らないと何も残らない、という自己分析自体は当たってる。でもその一方で、毎段落に予防線と免責条項を張り巡らせてて、全然徹底してない。無理はしない、全部はやらない、さしあたって、とか逃げ道多すぎ。北森の「底=外部」も、今のところは知的に気持ちよくなる比喩として消費してるだけに見える。月末ブログが本当に外部に触れるか、自己確認で終わるか、そこが分水嶺だな。

⇒はい・・・。頑張りまつ・・・。

*1:「徹底」というのはあくまで気の持ちようの話。例えば今月のテーマ「カント」に関して文字通り、客観的に厳密に徹底するならば、三批判書を原著で読み切りましょうからだろうけど、それは絶対にイヤダ、というか無理。普段の生活の中で、他の娯楽も楽しみつつ、理解できる範囲で世界のあれこれを自分なりに理解して思考とひいては人生に幅を持たせたい、というのが目的なので。じゃあなぜ「徹底」なんて仰々しい言葉を使うかといえば、曖昧模糊とした関心とあまりにドパガキすぎる精神構造の合わせ技によって、これくらい強い言葉を使って固定でもしとかないとマジで何の成果も得られませんでした、になってしまうから。というか実際なってきたから。

今年の振り返り(漫画とかアニメとか小説とかそのあたり編)

もう一年終わるのねぇ。
今年の初めの方から、何らかの形で心に残ってる作品を挙げて(というか、ツイートを見て思い出しながら)色々喋っていく、と思ったけど、あんまなんも覚えてないな・・・。適当にコメントつけるだけかも。


〇メダリスト

覚えてない。いるかちゃんのビジュが好き。

NANA
よかったと思うけど、なんかずっと同じ事やってたような気もする。後から思い返すと何が面白いのかイマイチわからんタイプの作品。
最近ファンブックとか矢沢あいの特集読んだけど、ファッションから見るNANAは面白そうだった。

しゅごキャラ
覚えてない。よくもわるくもナイーブな2000年代の自己実現って感じ。子どもの夢とか可能性を強調しすぎるのってあんま好きじゃない。まわりまわって将来その子を刺すことになるぞ。(おそらくこの時代に刺された被害者)

〇俺ガイル

もうええでしょう・・・。自認比企谷八幡は古く、時代は自認葉山隼人
(自認って、実際に自分のことをそのキャラだと思うわけじゃなくて、どっちかっていうと、そのキャラの思考様式を自分のものと思い込むって意味合いが強いと思うんだけど、そうすると内面に強みを持つ八幡の自認なんておこがましいんすよね。凡人はちゃんと葉山隼人として悩むしかないんだからさ。)

 

かぐや姫の物語
見終わったときはなんとも煮え切らない感じだったけど、思い返すと今年一番よかった。最近人生の意味を考える方面にしか主な意識が向かないんだけど(順の逆に浅い)、この作品話の軸は「え、意味とかないっすよ?おつかれした!」ってことだけやってるのに心から離れてくれないんよね。一瞬間に命を吹き込むこと、を徹底するために、ストーリーではその反対を徹底するのは理解はできるけど、それにしたってここまで両極を徹底できるものなのか・・・。仮に今後の人生で自分が信じる何かが見つからなかったとしたら、この作品は死ぬ前に見るものとしてベストなんじゃないかなと思う。見つかったとしても見ていいけどね。

 

ちなみに見終わった後の感想ツイート見たら「最後の歌頼み」って言ってた。え?

 

〇ハーモニー

これこそ映画は最後の歌頼み。

サヨナラノツバサ
意味不明な改変。これも歌だけかも。(とはいえ歌は好きすぎるが)

〇負荷領域のデジャブ
本編以上に怪しい理屈付けだった気がするけど、記憶ないです。

〇冷たい校舎の時は止まる
クラスがどうとか、スクールカーストがうんたらっていうテーマだけで楽しめるボーナスタイムは終了したかもなぁという気づきを得た。最近ガキの悩みに寄り添えない。けど大人の言ってることもよくわからない。

〇生命式

村田沙耶香って高校の時生理的嫌悪感があったけど、それはなくなって普通に面白かったと思う。

〇さらなみ

漫画しか読んでないけど、ある特定のツボを押したら気持ちよくなる人用の作品という感じがした。自分にあると思っていたツボがなかったことへの驚き。

〇ポンポさん
楽しいけど自分にとっては何でもない。

〇小市民シリーズ

ねっとりしてますなぁ。かなり楽しかった。

〇スキロー

久しぶりに読み返してなんか感銘うけてた。自認志摩くん。
志摩くんのズルさって結構あの感じの作品の中の、あの立ち位置のキャラにしてはちゃんと攻めてていいなと思う。だからこそ映える場面があるよね。

〇トラぺジウム
特に好きでもないのにアイドルに執着する癖がなくなったのは今年の良かったことだと思う。普通に作品として嫌い。

〇マケイン

良ラブコメアニメのお手本みたいな感じでよかったけど、味は薄めかもしれない。
〇たべっこどうぶつ
感情ドパガキなので劇場で泣いてた。なんか後で冷静な批判読んであうー確かにってなった記憶がある。
青い花

良い読書体験だったという記憶だけがある。また作中劇やってた。
〇ヒメゴト
ロジカルラジカル人間関係の限界に挑戦って感じでかなり好き。
〇熱帯
森見登美彦は、なんだかんだで、おもろい!
ずっと袋小路に迷い込んでいてはい出ようともがいてる感じはやっぱり共感するし、その迷走が手を変え品を変え裏に表に作品テーマになり続けてるのがすごいなぁと思う。年とってもこの大学生メンタリティなのを自分の理想像に据えるかは微妙なところだけど、まぁ、枯れてるよりかはよっぽど魅力的だとは思う。
〇よりもい

久しぶりに途中から見返したけどかぐや姫と並んで今年のトップオブ神。TARI TARIと視聴した感覚が結構似てる気がするけど、こっちの方が上かな。6話、12話が本当に好き。

遠い山なみの光
ふつうに一番好きな作家カズオイシグロ説は最近ある。会話があまりにもうますぎる。俺ガイルの後半好きな人は絶対好き。うーん、多分。

〇さらざんまい

さらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、さらざんまい!イクニ作品で今のところドベ。イクニ作品って(監督は否定しがちだろうけど)モチーフを読み解く楽しみみたいなのは個人的にはかなりあって、これは他と比べると一本調子の一点突破すぎてそこの楽しみが薄いかも。ひねる気はないのに変な味付けはするから惑わされてその楽しみを目指すと徒労に終わる巻は否めない。あと、シンプルに、伝えたいメッセージと、話でやることが噛み合ってない気がする。特に序盤の犯罪者のくだり長いわりにマジで意味わからん。まあ、でも、面白いけどね!さらでぃーーーーっしゅ!

かげふみさん
楽しいね。小路啓之作品って小賢しい分析がしやすそうだけど、多分それって本人が色々ネタ仕入れてるのに乗っかるだけなんだよな・・・。

 

〇フリーレン
相当よい。フリーレンの世界観で生きたい。

〇旧劇まごころをきみに

カラオケの元ネタが見れてよかった。でも自分にとってはちろのカラオケの方が本編かもな・・・。全く今の自分のための作品ではないけど、さすがに強度はあるなぁとは思う。

バイオハザードザファイナル

おバカすぎる。なんか昔はもうちょっと怖かったような・・・。相当出来の悪いエヴァのパチモン。

〇Turkey
愛すべきおバカ。てか普通にかなり好きやわ。やりたいことわかってから後半はかなり真っ当に面白いよ。これとは無関係に千曲市行ったけどなんかデカいTurkeyの垂れ幕?みたいポスターかかってたような気もする。

〇チラムネ

本物の恐怖

とらドラ

いたるところから味がする。ヒロイン論争とかしたいけど、みんな好きだから無理や。まあでも、みのりんはちょっと手に負えないし、大河には竜児がいるし・・・じゃあ、やっぱりあーみんかな。とかみんな思ってそう。あーみんの方から願い下げじゃそんなやつは。

 

忘却の旋律

・・・。さらざんまいが思ったよりは微妙だから、もしかしてすごいのって榎戸洋二なのか?と思って見てみたら・・・。序盤の雰囲気は好きだし、やりたいこともわかるが、やりたいことだけでは生きていけないんだな、というのがよくわかる。とはいえ、やりたいことやっただけあって、見て良かったとは思うし心には残る系の作品ではある。でもそれって、自分がテーマ的に好みだからってのを差し引くとどうなっちゃうんだ・・・。23話「世界を貫く矢のように」は演出が奇怪を極めて滑稽だけど、その滑稽さが積み重ねた作品テーマと重なって、ひたすら孤独な主人公を追い詰めていく様子をただ見るしかないのは、ちょっと他では味わえない時間ではあった。あそこだけ切り取るとアンチマクロス感凄い。

 

〇きみの色

いったんわからん、という結論でいかせていただきます。
また今度見るわ。



書き始めたとき元気なかったけど、書いてるうちにちょっと元気出てきたわ
作品以外のやつも年内に振り返り書けたら書きたいね、ぽやちみー

WHITE ALBUM2の想い出語りとあれこれ(前編)

 

 

 

 

 

いつも通りYouTube見てたらもこうの「WHITEALBUM2」実況がおすすめに出てきた。なんかもこう毎年やってんな。

 

 

 

 

 

まあ、でも、毎年やりたくなる気持ちもわからなくはない。「冬」という季節の、まあ、5分の1くらいは「WHITE ALBUMの季節」になるみたいな感覚があるよね。

 

 

 

 

 

そういえば自分がシェアハウスで「WHITE ALBUM2」やってた頃からはちょうどくらい1年経つらしい。さすがに早すぎるッピ……。

 

 

 

 

毎日ふれにあさんと時間決めて、シェアハウス行って、ちょこちょこ進めてたのめちゃくちゃ楽しかったね。

 

 

 

 

 

あ、でも、主に一緒にやってたのはふれにあさんだけど、リビングでやってたからその時々に違う人がいて、なんか、その場にいる人に応じて違うゲーム体験ができていた気がして、そこも面白かったところなんよね。

 

 

 

 

 

 

ふれにあさんはキャラにキレがちで(一緒にキレてみると結構楽しい)、ちろちゃんは自分には理解できないタイプの感情移入をして(たまに叫ぶ)、ホリィ・センはたまに後ろからボソッと的確なコメントをくれて、新萬とはのんびりできて(麻里さん最後まで一緒にやりたかった)、なめしはうるさい(7割くらいは肯定的な意味)。

 

 

 

 

 

 

自分はおおむね作品世界にのめりこむタイプで、初めは誰かと一緒にゲームするのってなんかなぁと思ってたんだけど、やってみると意外とのめりこみと他の人と楽しむのって両立できるっていう新たな発見があった。

 

 

 

 

 

 

むしろ、ヤイヤイ野次を飛ばすことで自分に足りてない読み方を補完できた気もするし、ダレる部分とかしょうもない部分を別の楽しみ方に変換できるし、後は本当にのめりこむ部分って周りの人が何してるかとか聞こえなくなるから割といいとこどりかも。

 

 

 

 

 

さすがにもこうみたいに毎年はやらないけど、たまに振り返りでやりたいかもなー。

 

 

 

 

 

ここからは個人的な所感など。デカいネタバレは伏字にして〼

 

 

 

 

 

 

introductory chapterに関しては、よくできた三角関係のお手本みたいな話だったと思う。恋慕と友情の間での絶え間ない摩擦。ボタンを掛け違うような想いのすれ違い。

 

 

 

 

それぞれがそれぞれの心に消えない傷を負って、そしてたどり着く冒頭の飛行機のシーンは様式美の極致みたいなもので、単体で十二分に作品としての完成度は備えていると思う。

 

 

 

 

個人的な話をすれば、イントロの物語は当然俺ガイルと重ね合わせていた。

 

 

 

辿る過程は俺ガイルの方が好きだけど、結末に関してはさすがにこっちの方が好き。というか、自分は奉仕部の3人が空中分解する結末を望んでいた節があったので、何年か越しにあの時思い描いた理想の結末を見たような気がしたよ。

 

 

 

 

 

話を戻すと、そもそも、introductory chapterに関してはプレイヤーに選択肢はなく、ただ眺めることしかできない。この部分だけ切り取るともはやゲームなのかもよくわからないが、ただWHITE ALBUM2というゲームにとって、introductory chapterが非常に重要な位置を占めるのは言うまでもない。

 

 

 

まず、春希と雪菜とかずさの3人にとって、introductory chapterの物語が持つ意味はあまりにも大きい。それはもはや取り戻せない青春であり、心の奥でキラキラ輝く美しい思い出であり、一生消えない傷であり、自らを未来永劫縛り続ける原罪だ。

 

 

 

 

 

そして、この「罪」というのは、「WHITEALBUM2」に通底するテーマだ。introductory chapteで生み出された原罪に対して、続くclosing chapter、codaでどのように向き合うか、というのがこのゲームの骨組みだろう。

 

 

 

 

 

そして、彼らの「罪」はあまりにも重い(と彼らが思いこんでいる)からこそ、その「罪」を贖うというよりはむしろ、「罪」に対して何を「罰」として引き受けるか、「罪」に対して何を「罰」として見出すか、という方向性で物語は進んでいく。

 

 

 

 

 

そんな美しく完成された原罪の次に始まるのがclosing chapter。3人の墓標である飛行場での別れの時から3年経った大学生編。

 

 

 

 

 

ただclosing chapterの初めの方は少し当惑した記憶がある。あれほど重い3人の物語をイントロでやった後で、今さら新キャラてそんなん言われてもサ、ヒロイン攻略みたいな感じだされてもサ、頭のキリカエってもんができませんよ……みたいな感じで。

 

 

 

 

 

 

まあ、結論を言えば、このゲームで一番楽しかったのはclosing chapterの千晶ルートなんですけどね。千晶ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……お前ってやつはホンマ、ほんま……。なんちゅうか、さすがに丸戸先生の掌の上で転がされすぎ感は否めないけど、ホンマによくできた作品では掌の上で転がされること自体が楽しみの一つみたいなところもある。

 

 

 

 

 

 

【千晶ルート(とココロコネクト)のネタバレあり(反転)】

 

 

千晶を見ていると、色々なキャラのことを思い出す。いやまあ、ここまでのやつは中々いないけどさ、千晶の抱えてる問題と近いものを持ってるやつは結構いるというか。自分は千晶を見ながらココロコネクトの永瀬伊織のことをずっと考えていたよ。

 

 

2人の共通点は、自分の空っぽさと、それを取り繕う演技の上手さ。2人の違いは、それを自分自身の問題として捉えているかどうか。永瀬伊織は【人格入れ替わり】を通して、元来の「空っぽさ」「アイデンティティの不安定さ」が増幅され、苦悩する。まあ、厳密な身心二元論者でもない限り、自分の身体を失ったら精神としての「私」も危機にさらされる、ってのはそりゃそうだって感じではある。

 

 

そして、ヒトランダムの最後で一度はその「空っぽさ」に折り合いをつけたけれど、その後も物語を通して何度か蒸し返して悩み続ける。

 

 

展開としてはまたか……とはなるけど、それはそれとして説得力があるのは、自分の自身の「空っぽさ」みたいなのがそれだけ人間にとって切実なテーマだからなんでしょう。(この辺の話は全て自分が思う「人間」、つまり自分自身の話をしています。)

 

 

千晶はそこを逆手に取ったキャラクターで、「空っぽさ」に悩まないという意味で「人でなし」だ。まあ、それ以外でも性格面も普通に人でなしなんだけどさ。それを踏まえて、本当にざっくり言ってしまえば、千晶ルートは愛の力で「人でなし」が「人」になる物語、とすると魅力の5%も残っていような……。なんか何らかの傲慢?な欲望がだだもれな感じもするし。

 

 

いやー、これプレイした直後も思ったけど、なんか千晶ルートってプレイしてる時の感動と、冷静に振り返った時の感想のズレがかなり極端なんだよね。

 

 

多分自分のしょぼい構造化から零れ落ちた部分というか、そもそも構造に回収されない細部にテキストの魔力がかかってるタイプの物語なんだろう。もっかいやった方がいいかもなー。

 

 

【千晶ルートネタバレ終わり】

 

 

 

 

他の2人のルートもめっちゃいいよね。小春ルートは優等生後輩を穢すし、麻里さんルートは優秀上司を泥沼にひきずりこむしで、両方背徳的な昏い歓びに満ちてる。

 

 

やったことないからわからんけど多分この2人のルートが正統にエロゲっぽいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

まあ、全体的にサブヒロインルートは欲望だだもれクズ春希くんを見る楽しみがあるし、反対に雪菜ルートは適切に欲望を節制した「正しい」春希くんルートって感じがする。

 

 

 

 

 

この辺やってるときは本当に夢中で楽しんでたなぁ。ただ、それはそれとして、このあたりで1つよくわからなくなってきたことがあって混乱もしてた。

 

 

 

 

それは、サブヒロインルートのごみくず春希くんと、雪菜ルートの一途な春希くん、どっちが本当の春希くんなの?ってやつ。

 

 

 

 

 

多分これはエロゲとかノベルゲー熟練者からしたらナンセンスな問いなんだろうけど、この時の自分は割と本気でよくわからなくなっていた。

 

 

 

 

その理由の一つは、単純に自分が選択肢を選んで物語を生成するスタイルに慣れてないこと。で、もう一つの理由は多分自分のプレイスタイル。この時の自分のプレイスタイルは、「1周目はなるべく自分の感情を排除して、その時々で最も春希くんがやりそうな選択肢を選ぶ」というものだった。

 

 

 

 

もちろんここでの春希くんは「俺の思う春希くん」だから、厳密にいえば感情の排除とは?って感じではあるけど、でもなるべく春希くんをちゃんとエミュレートしようと努力してた。

 

 

 

だから、選択肢が出たら毎回「いや、春希なら絶対こうする!」とか「春希はこんなことしねぇ!」とか(主に自分が)叫んでふれにあさんとバトってた。何ならたまに「春希はどっちもやらねぇよ!」みたいな選択肢が出てきて怒ってた記憶もある。

 

 

 

 

 

この傾向はcodaに入るあたりから加速していくというか、もはやその辺りからはもう、春希くんなのか自分自身なのかの境界もあいまいになって、

 

 

 

「自分ならこうする(してしまう)」「春希はこうあるべきだ」「でも、春希ならこうなっちゃうかもな……」「自分ならこうありたい」「春希にはこうあってほしいねん」「頼む……春希、俺はお前を、いや自分を……?信じたい、でも……」

 

 

 

みたいなのが混ざり合ってもはやなにがなんだかよくわからなくなっていた。今振り返っても正確には思いだせないけど、これはかなり稀有な体験だったことは間違いないと思う。

 

 

 

 

で、そもそもなんでこんなプレイスタイルを取って、春希くんと混然一体になる状態まで行きついたかって言ったら、まあ、自分の性格とか物語受容の傾向みたいなんは当然あるんだけど、このゲームの構造に要請された部分も少なからずあると思う。

 

 

 

 

って話あたりで長くなってきたので続きはまた今度……。