よりもい(『宇宙よりも遠い場所』)って本当にいいアニメですよね。各々好きな話があって、多分5話のキマリとめぐっちゃんの(ひとまずの)決別の回とか12話のしらせの回とかは多分大人気のはず。もちろん自分も大好き。
ただね、個人的には6話「ようこそドリアンショー」がたまらなく好き。なぜ好きかといえば、よりもいのテーマ性と人間関係の魅力が見事に交差する回だと思っているから。そもそも、よりもいのテーマって何?って聞かれたら、もちろん表テーマは宇宙よりも遠い場所、「目指せ南極!」ではあるけれど、じゃあ精神的なテーマは何って話で。それは多分「意地を張れ!」ってことなんだよね。
そもそも、メインの小淵沢報瀬(しらせ)ってキャラクターが初っ端から意地の塊みたいなキャラクター。母親が消息不明になった南極をただひたすら目指してて、学校でみんなに冷やかされてもむしろそれをバネにして南極行くために100万円貯めてって。ただ、正直この時点では、うお、意思つよくてすげー、憧れー、みたいな他人事ではある。
まあ、キマリ視点はともかくとして、正直5話以前では視聴者視点しらせって、この初めに抱いた感覚からはそう遠くは離れていないはず。意志が強くて、強情で、南極に行く夢に一直線のちょっと危ういまさに主人公って感じ。
じゃあ、それが6話でどうなるのって話だけど、その前に三宅日向(ひなた)ですよ。6話といえば。ひなたはといえば高校ドロップアウトして、フリーターで、の割には明るくさばさばした感じでっていう、ちょっと不思議な感じのキャラクター。正直まだあんまりひなたのこと知らねんすわ俺。
そんな2人が6話でぶつかり合う。きっかけはひなたが自分のパスポートを落としたことからはじまって、最終的には「ひなたを置いて3人で南極に向かうVS4人で一緒に南極に行く」のバトルが始まる。このバトルってのが、言っちゃえばひなたとしらせの意地のぶつかり合い。ひなたの場合その意地ってのは、「人に気を遣われる、気にされることが苦手で、それに耐えられずに高校を辞めた」っていう過去のトラウマからくるもので、だから今回もパスポートをなくした自分を他の3人が気を遣ってくれるのが耐えられない。他でもない自分のために3人に自分を置いて先に南極に行けというのだ。ひなたぁ・・・。
じゃあしらせは?っていうと、パスポートの話が始め出たときは自分の昔からの夢であり意地である「南極に行くこと」が揺らぐと思ってモヤモヤしていた。でも、すぐに気を取り直してやっぱり4人で行こう!って伝える。そこからはガチンコバトルスタートだけど、このしらせとひなたのバトルの結末が素晴らしい。しらせは4人で飛行機に乗るために空港のカウンターに100万円をたたきつけて、カタコトの英語で飛行機を変更してくれと必死に懇願する。この100万円はさきに言った通り、しらせが自分の夢であり意地である南極のために貯めたなけなしの100万円だ。当然「おい!まて!」ととめるひなたに向かって、しらせは周りの目も気にせずぶちまける。
「うるさい!」
「意地になって何が悪いの?」
「私はそうやって生きてきた!」
「意地張ってバカにされて嫌な思いして、それでも意地張ってきた」
「間違ってないから!」
「気を遣うなって言うならハッキリ言う」
「”気にするな”って言われて気にしないバカにはなりたくない!」
「”先に行け”って言われて、先に行く薄情にはなりたくない!」
「”4人で行く”って言ったのに、あっさり諦める根性なしにはなりたくない!」
「4人で行くの! この4人で!」
「それが最優先だから!」
し、しらせぇ・・・。マジかっけぇ。実際ここは何回見ても涙ちょちょぎれるが、ようやくここでしらせってキャラのことを真に理解する。これまでしらせは南極に行くことに意地を張っているキャラだと思っていたけど理解不足だった。より正しくはしらせの生き様がそもそも意地を張ることだったのか、と。そして、しらせの生き様であるところの意地ってのは、自分がこれまで生きてきた延長線上にあって、そして自分がこの先生きていく道は他でもないこの道しかありえない、と宣言することなんだろうなと。
対して、ひなたの意地は、自分がこれまで生きてきた延長線上にあって、そして自分がこの先生きていく道は他でもないこの道しかありえない、と囚われていることだった。この囚われと宣言の差はとてつもなく大きく、だからこそこの2人の意地の張り合いの勝負は初めからしらせの勝ちで決まっていたんだろうな、とここで気づく。
さて、ここでよりもいの精神的テーマの話に戻ろう。よりもいの精神的テーマとは「意地を張れ!」としたけれど、ここまでを踏まえてアップデートすると、メインテーマは「意地を張れ!ただし、囚われるな!宣言しろ!」になる。実際、この後ひなたも、ゆづきも、そしてきまりも、南極までの13話の旅を通してそれぞれ自分の環境のしがらみから解き放たれて、高らかに意地を張って生きていく術を身につけていく。他にも、南極観測隊の大人'sの面々やキマリの親友めぐっちゃんもそうだろう。6話は、1話でこのよりもいのエッセンスをギュギュっと濃縮したドリアンみたいな(?)話であり、この物語のテーマを指し示すコンパスとしても見事な回だろう。南極だけに!南極だけに(?)
さーて見事な回ついでに、この回の人間関係の魅力についても付言しちゃおう。個人的な感触として、6話ではしらせとひなた2人のキャラクターについて「こいつこんなやつだったよなぁ」と「こいつこんなやつだったのか!」の二重の理解の深まりがあった気がする。どういうことか。つまり、すでに与えられた設定から逸脱せずキャラ像を提示、と、その設定を拡張するような適切な過去エピソードを通してのキャラ像の深堀り、を1話でまとめてやっているのだ。それは
しらせでいえば「こいつやっぱ意地っ張りやなぁ。けど、こいつの意地っ張りって生き様から始まってるものだったんやなぁ」だし、
ひなたでいえば「こいつやっぱりお気楽やなぁ、けど、そのお気楽さって自分をどこか諦めているからこそのものなんかなぁ」というやつだ。
設定から逸脱すればキャラクターは連続性を失って同一のキャラクターとして愛されることはなくなり、設定に安住すればキャラクターは単なるデータに成り下がる。当り前だが、だからこそ厄介なこのキャラクター描写の微妙な塩梅を、作品テーマと絡めつつ2人同時に華麗に調理する手腕はまっこと見事としかいいようがない。そして、だからこそやはり「ようこそドリアンショーへ」はよりもいでも屈指の神回と言えるのだ。