V3いったんクリア。キャラ個別の色々はあんまりやる気起きない。
総じて非常に面白かったけど、2みたいに個人的に超絶琴線に触れる作品ではなかった、というかむしろ作品の思想がどうも自分と合わないなぁとも思う。
以下面白かった点と気になる点。1回目プレイ時なので見返したら大いに変わる可能性あり。
(ネタバレしかないので注意)
◆面白かった・好きな点
〇「百田解斗」というキャラクター
この作品はこのキャラ一本で持っているなぁ、という位重要な立ち回り。
作品テーマは「嘘」「フィクション」で、今の時代そんなもの世の中に溢れまくってる。だから、このテーマを代表するキャラクターとかモチーフには全く困らない反面、問題はそれに対抗できるような何かを打ち出せるのか?というところ。
百田の「根拠はないけど信じる」という方針は、馬鹿正直ではあるもののの、だからこそこの作品を照らす道しるべとして機能していたと思う。
〇学級裁判が面白い
3作の中で一番みんなで議論をしている感じがしてよかった。議論スクラムだーいすき。「偽証」も相当面白いギミックだけど、1章であまりにも、本当にあまりにも見事な使い方をしてしまったため、逆にそれ以降の「偽証」が都合のいい言い訳くらいにしか見えなかったのが残念。この件も含めて、V3は明らかに徐々にプレイヤーのボルテージを上げて盛り上げようという気がなさすぎると思う。
〇トリックがよくできている
1章のピタゴラスイッチバカすぎワロスwwwとか思ってたのがちゃんと後半で回収されたり、そもそも1章の叙述トリックだったり、一番丁寧に作られている感じがした。個人的にこれまでの2作はあんまりまじめに推理してなかったけど、V3は(多分自分が慣れてきたのもあるけど)推理する楽しみがあった。2章のアリバイで論理で徐々に絞っていったにもかかわらず、最後に残った2人を「根拠なく信じる」シーンとか、V3らしさを感じてかなり興奮した。
〇とにかく6章前半が面白い
我に返って気が狂ったキーボのおかげで崩壊していく学園で、限りある時間の中で隠されていた真実が明らかになっていく展開はかなり面白かった。
ここは明確に2の反省が活かされていたなぁと思う。これまで生き残った仲間と協力して真実に近づいていく快感、こういうのでいいんだよ。
(2の6章前半は変な空間に飛ばされて、よくわからんまま無量空処食らって面白いとか以前の問題だったので)
〇とにかく6章中盤が面白い
いやー見事にちゃぶ台ひっくり返されちゃった。「思い出しライト」が「記憶植え付けライト」だっていうのは、気づきそうで気づけなかった。うーんやられた。過去作品のキャラに煽られるところも相当意地悪いけどあんまり感じたことがない気持ちよさがあった。石丸の煽り性能高すぎる。あと、七海の「やればできるってやつだよ」とか、狛枝に才能ないことを煽らせるやつとか、過去の思い出をこんな形でリサイクルするの最高に悪趣味でダンガンロンパっぽくて痺れた。
◆よくわからなかった点・物足りなかった点
〇偽証したもん勝ちすぎる
このテーマでやる以上、最原が自分の「信じる」結末を目指すための「偽証」をきっかけに取り返しのつかないミスをしてしまう。。。という展開を予想するのは当然というか、むしろ普通のバランス感覚ならないとおかしいと思う位のはずだと思うけど、なぜかなかった。おうまといい、テーマ上フィクションとか嘘の可能性を信じるのはいいんだけど、対立軸を「現実」に設定してそっちとの対立に注力した結果、本来ドラマを生むだろう嘘をつくことのリスク、倫理的な悪さの側面、みたいな楽しそうなテーマが触れられなかったのが残念。「嘘」自体を深堀してくれよという性癖というか好みが達成されなかった悲しみ。
〇アンジーが明らかにやりすぎている
死への恐れから宗教・スピリチュアルなものへと傾く、というのは確かにデスゲームもののリアリティとしてはありそうだなと思う反面、ちょっと他のキャラを喰いすぎているかなという印象。ただでさえすぐ人が死ぬから1章1章が貴重な中で、アンジー教に入信している間はキャラの差別化も掘り下げもできないしで、あーあー時間がもったいないと思ってた。(この3章の宗教話で盲目的に信じることのリスクはやったということなら、なおさらなんで嘘の功罪みたいな話はやらなかったんだろう、と思う。片手落ちでは?)あ、もしかして共通のものとしてもうやりましたよーみたいな感じ?なんか、この作品で何度か感じたけど、嘘とフィクションをいっしょくたに扱ってそうなところ好きじゃないわ。
〇とにかく6章後半が気にくわない
ダンガンロンパに限らず、フィクションってのは、作り手も、受け手も、それが「嘘」であることを前提の共通理解として、それでもそこにどれだけリアルを読みこめるのか、もしくは「嘘」としての強度を高められるのか、という遊びをしている。その上で、その土台を破壊する身もふたもなさ自体は賛否両論あれど、1→2と散々色々やってきて、次は何してくれるんだろう・・・いや、もうやることなんて残って無くない・・・?という不安と期待の中、本来とどまるべき一線をアクセルベタ踏みで越えてぶっ壊す「ダンガンロンパ」らしさとして、V3の6章での試み自体
は自分は相当好意的に受け取っている。
とはいえ、ぶっ壊した後の後始末としての、そして作品全体の総括としての6章後半は個人的にはかなり期待外れだった。
〇そもそも嘘・フィクションは現実を変える力があるんだ、といわれましても・・・
だから何?そんなの当り前じゃん世の中見ろよ、としか思えない。
それをある種の希望のような形で最終結論に据えるナイーブさに面食らってしまった。
嘘・フィクションが現実に影響を与えること、現実を変えることを可能性として語ることが逆に新鮮すぎる。そんなの当り前で、それを前提としてどう活用するんですか、どうリスクを抑えるんですかって問題なので。(もちろん10年弱前の作品という事は加味すべきだけど、それは今自分がどういう感想を抱くかとは関係ないのと、10年弱前としてもさすがにちょっと時代遅れだと思う。)
〇最後の一連の流れについて思うところ
①衝撃の事実についてのずれ
・最原達に投げかけられたのは、自分という「リアル」な存在だと思っていたものが実は「フィクション」にすぎなかったこと
・プレイヤーに投げかけられたのは、作り手との共同作業で作り上げてきた「フィクション」は単なる「嘘」であると作り手側から突き付けられること
→ここのずれは意図的にやってるのかな?没入読みの人間としてはキャラと自分の立場にズレがあってやりづらいけど、ズレがあるどんでん返しってのも中々面白いね
②「ダンガンロンパ」に対する憧れの重なり
・最原達は「ダンガンロンパ」という「フィクション」に憧れてV3の世界にやってきた
・自分も「ダンガンロンパ」にこの1か月脳を焼かれており、「ジャバウォック島」に住みたいと思っていた
→うおー、なんか親近感わくぜ
③すり替えトリックやめてほしい
・最原達は、フィクションを植え付けられた生身の人間。この悲劇を「ダンガンロンパ」というフィクションを求める声が生み出し、最原たちは彼らの見世物となっている
・そして、そのフィクションを求める声というのは、キーボの内なる声=「ダンガンロンパ」を求めるV3世界の観客=キーボを動かすプレイヤーとして、最原たちにとって打倒されるべき最後の敵となる
→ここでのクソデカ違和感は「プレイヤーが現実世界でやっている倫理的悪」=「フィクションのキャラクターが殺し合いをするゲームをフィクションとして楽しむこと」と「V3世界の観客がやっている倫理的悪」=「生身の人間にフィクションの人格を植え付けて殺し合わせることをフィクションとして消費すること」という、フィクションとリアルの差から生まれる数段レイヤーの違う2つの倫理的悪が、キーボという装置を通して、最原たちが立ち向かう敵として同一視されていること
→これさぁ、自分が必要以上に悪者にされてムカつくーーーーってのもないわけじゃないけど、それより気になるのはフィクションの可能性を信じる、とか、フィクションの功罪をプレイヤーにも考えさせる、みたいな体をゲームとして取るんだったら、なおさらこういう部分は丁寧に切り分けて考えないと変じゃない?ってこと
別に何がフィクションで何がリアルかなんて正直よくわからんけどさ、最終的な結論を「リアルに影響を与えることができるフィクションの可能性」ってリアル/フィクションに明確に区別がある前提で据える以上はさ、フィクションだからやっていいこと悪いこと、リアルだからやっていいこと悪いことをごっちゃにしない態度くらい見せてもらえないと、そういう区別できてない以上自分たちで結論をぼやけさせてることになりませんか?って言いたいです(実際自分はここが引っ掛かってあんまり話はいってこなかった)、まあ、プレイヤーが敵として倒されるってこと自体はゲームとしては面白いと思うんだけど、それを優先した結果テーマがぶれてない?って感じ
④てゆーか、V3世界もうフィクションとリアルぐしゃぐしゃでは?
そもそもなんだけど、「生身の人間にフィクションの人格を植え付けて殺し合わせることをフィクションとして消費すること」が娯楽として成り立ってるV3世界で、もうフィクションとかリアルとかの区分け意味なくないっすか、とは思う。すでにフィクションに現実は浸食される段階は過ぎ去って、もうどっちがどっちかわからん状態。
そんな世界において、「フィクションが現実を変えられる」、という二項対立前提の可能性を結論として掲げることに何の意味があるのか。この言葉がいま2026年を生きる自分に響かないのよりも遥かにV3世界においては響かないよなーという。
(追記)
むしろ、この二項対立が完全に失墜してしまった世界において、この2つの区分けを取り戻すということが目的で、その手段としてあえて「フィクションが現実を変えられる」を掲げるとかなら筋が通ると思う。けど、別にそういう「あえて感」がなく、ポストリアルなV3世界の中で、ゼロ年代~テン年代位の純朴なオタク君よろしくフィクションの可能性を訴えるのは、ちょっとズレてるし、そのズレが個人的な作品への没入を阻害してきたのでやっぱり納得がいかない。
⑤重要なのは変える手段の方だよねって話だけど・・・
「フィクションが現実を変えられる」のは当然な世界で、じゃあ大事なのはその手段。手段の方に目を向けるなら、そこで選ばれたのが「なにも選ばないこと」。希望も絶望も拒否すること。これは納得感ある、というか2に引き続き1のテーマの乗り越えって感じだけど。まあ、完全に2と一緒ってわけではなく、2では覚醒日向が「希望」も「絶望」も『「未来」を信じること』で切り捨てていったのに対して。V3では自ら死を選ぶ=『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶する。逆の過程から同じ結論を導く、こういう綺麗な構造を作ってくれるのはダンロンの楽しいところやね。
まあ、とはいえ、この『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶するってのは、構造としておおーとはなるけど、全然すっきりしないんよね。ゲームとして。何も動かないでゲームオーバーすることが求められるって地味にストレス。2の覚醒日向が爽快すぎたからなおさらね。
皮肉なのが、ここで少しでも動いて「論破」でもしようもんなら、なぜかゲームオーバーになってゲームをリトライしますか?って聞かれる。いや、ゲームをやろうとしたらゲームオーバーになってゲームを降りるためにゲームをリトライするってもう意味不明・・・。元々ズレのあるプレイヤーと最原たちを同一視しようとしたことによる歪みなんだろうけど、もうこの辺でゲームをプレイして楽しむ気持ちは失せちゃった。
ここってさ、なんか最原に合わせて他の仲間たちも「自主的に」自殺を選択することになる場面だけど、最初嫌がってたけどみんなに説得される形で決意した夢野も、実は自分と同じ気持ちだったんじゃないのっていう逆流の同一化が発生したわ。いや、だって、ほかに選択肢ないんですもん・・・的な。あと、これは単純に好みの問題だけど、人に説得されて生きることを決意するのと、人に説得されて死ぬことを決意するのって、いくら目的が同じでも、後者は見ていていい気分はしないっす。最原とかガンダムが自分の決断でそれに辿り着くのはいいんだけど、どんな理由があれ人にそれを提案する姿を見るとちょっとなぁ、とノレない自分がいる。
⑥結局この作品のテーマの「信じる」ってどこに活きるねん
まあ、いいや。ここは『「未来」を閉ざすこと』によって、「希望」も「絶望」も拒絶するってのは、構造としては面白いって話に戻るけど、でもその面白さって、1と2っていう過去作と照らし合わせたり、6章の中で見たときに、って話でしかない、というのもある。自分がTwitterでぶつぶつ文句言ってることだけど、この最原の「未来を閉ざす」決断って、最原の抱える課題とか成長とか、もしくはこの作品全体のテーマにおいてどういう意味を持つんですか?
例えば、対比として出てきた2だったら、自分自身を信じられないっていうコンプレックスを抱えていた日向創が、初めて自分自身を信じて作品テーマでもある「未来」へと向かうっていう見事な決断になってる。かつ、その決断には自らの命に代えて信じることの尊さを説いた七海の想いも載ってるし、ちょっと深読みするなら「希望」を求めた狛枝の想いも間接的に載ってるともいえる。
対してV3の最原の決断は?『「未来」を閉ざす』ことと、この作品のテーマである嘘とかフィクションの関係って?もしくは、百田の言ってた「根拠がなくても自分が信じたいものを信じろ」ってこととか、嘘を貫き通した王馬との関連は?最原の抱えていた課題との関係は?
全くないってことはないんだろうし、自分が気づいてないってのもあるかもだけど、正直あんまなくね?って個人的には思っちゃう。最後の決断に作品のテーマとかキャラの想いが載ってないとカタルシスがすくないよね。
決断にのっている想いも良くわかなかったかと思えば、なんか結果的に3人は助かってるし。3人が助かってキーボが死ぬのはなんで?まあなんでもええか。最後の、物語が終わった後のキャラクターはうんぬんかんぬんのところは物語で回収しきれなかった内容をテーマに合わせて言うてるだけやろと思ってしまったので、特にいう事はないです。何か大切な意味があれば教えてください。
◆総評
1より全然面白かったのに愚痴みたいなのは無限に出て来る変なゲーム。
面白さの総量はすごいのに、その面白さの波のコントロールが(プレイヤーの満足度的な意味でいえば)致命的に下手っぴだなぁという印象。
まあ、自分は色々喋ったり書いたりできる作品が好きなので色々言ったけど結構好きっちゃ好き。(今回は勢いで書き散らしてしまったので、もうちょっと丁寧にV3に寄り添ったやつもまた書きたい。)











